道慈律師像(聖徳太子及道慈律師像のうち)

機関管理番号
1424-2
分類
絵画
作品名かな
どうじりっしぞう(しょうとくたいしおよびどうじりっしぞうのうち)
員数
1幅
時代世紀
室町時代・14~15世紀
品質形状
絹本著色 掛幅装 一幅一鋪(二幅とも)
法量
縦119.2 横49.2(上部26.6、下部9.1補絹)
所蔵者
奈良国立博物館
 道慈(?~七四四)は奈良時代を代表する学問僧。粟田真人(あわたのまひと)を大使とする第八次遣唐使の一員として大宝二年(七〇二)に入唐を果たし、長安の西明寺に止住して広く経典を学んで、特に三論宗の精通したという。養老二年(七一八)の帰朝に際しては、漢訳されて間もない『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』を請来しており、同経典は天平十三年(七四一)の勅によって諸国に設置された国分寺の思想的裏付けともなった。さらに大安寺の平城京への移建、護国の法会として重視された大般若会(だいはんにゃえ)の勅会化、後の菩提僊那(ぼだいせんな)や鑑真(がんじん)の来朝につながる戒師招請計画を推進するなど、奈良時代の国家仏教建設に多大な役割を果たし、天平元年(七二九)には律師に任じられている。本品は、道慈の出身氏族である額田氏(ぬかたし)の氏寺・額安寺(がくあんじ)に、聖徳太子摂政像と対幅の形で伝来した。当時の供養願文に依れば、道慈は虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を本尊とし、寺号を額田寺から額安寺に改めた人物とされており、当寺を創建したという聖徳太子とともに寺内の祖師供などで懸用されたのだろう。図は、衣に袈裟を着けて如意を執り、礼盤(らいばん)上に褥(じょく)を敷いて斜めに坐す道慈を描いている。口をやや開いて説法する様を表すことは、古様の祖師像にしばしば見られる形式であり、由緒のある古図が典拠となっているのかもしれない。

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全体

聖徳太子及道慈律師像

室町時代・14~15世紀

奈良国立博物館